2020/7/2
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【自己責任論は誰を救う!?】貧困、引きこもりは努力不足な人の”甘え”なのか |
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2019年は、引きこもりが関わる大きな殺人事件がおこり、世間から引きこもりに大きな注目が集まりました。また8050問題や就職氷河期世代など、社会の隙間に落ち込んだ人々への関心が高まった年でもありました。 引きこもりや貧困に注目が集まるとともに、社会から孤立することや貧困は、本人の努力不足であり、自己責任、そんな声も聞こえてきました。 しかし実際には、自己責任という考え方が長期の引きこもりや貧困を引き起こし、結果として社会から資源を奪っている、という現状もあります。 【自己責任論は誰を救う!?】貧困、引きこもりは努力不足な人の”甘え”なのか2019年、内閣府で40歳以上の引きこもりを調べる調査が行われ、若年層と合わせ、100万人の引きこもりがいると推計が出されました。 引きこもりの人数が100万人へ。内閣府統計から見えた引きこもりの実態とは? 引きこもりは、一度陥ると長期化することが知られており、引きこもり全体のなかで、10%以上が20年以上の引きこもりという調査結果がでています。 また、その家族も引きこもりを抱え込み、自分達だけでなんとかしなくてはと考えた結果、最悪の事態に発展してしまった、というケースもあります。 社会に適応できないのは甘え、そんな自己責任論が外部機関への相談や支援の手を遅らせ、結果としてより大きな問題を引き起こしている。そんな日本の姿を私達はまざまざと見せつけられているのです。 自己責任の意識が強い日本人自己責任、という言葉が嫌いな人も多いでしょう。しかし、日本は、何かあっても自己責任という考え方が特に強い国民性を持っていることが、いくつかの調査でわかっています。 例えば孤独に関する調査では、日本では、孤独に陥ることを自己責任と考えている人の割合が実に44%にも及んでいます。
また、貧困に関する意識調査では、貧困に陥った人を政府が助けるべきという質問に「そう思う」と回答した人はわずか59%、諸外国と比べ、最低の数字でした。 上記二つの調査では、日本は極めて自己責任論が強い国であることがうかがえます。 母子家庭の貧困は自己責任また、実際に貧困を自己責任とする厳しい見方も多くあります。NHKのハートネットTVが特集した母子家庭の貧困について、下記のような意見が寄せられています。
なんとも辛辣な意見が並んでいる印象です。母子家庭になり、貧困に陥ることは自己責任だとしたら、結婚へのハードルはあがり、ますます少子化社会からの脱却は難しくなりそうです。 自己責任はいつから?様々な調査や世論の反応からも、日本の自己責任論が根強く存在していることがうかがえました。では、一体自己責任論はいつから始まったのでしょうか。 自己責任という言葉が特にメディアで取り上げられ始めたのは、2004年、小泉内閣時代のことです。この年は、自己責任という言葉が流行語大賞のトップテン入りを果たしています。 この時使われた自己責任は、シリアで武装勢力に拘束されていたジャーナリストの安田純平さんに関してでした。自ら危険とされる地域に取材に赴き、武装勢力に捕まった安田純平さんについて、各閣僚の発言をみてみましょう。 現東京都知事小池百合子氏の発言 ”無謀ではないか。一般的に危ないと言われている所にあえて行くのは自分自身の責任の部分が多い」と指摘した” 安倍首相の発言 ”人質にされた三人は政府の「退避勧告」を無視してイラクに出かけている。悪いのは一にも二にも卑劣な犯罪者だが、世に与えた迷惑の数々を見つめればきっと、三人もひとつ利口になるに違いない” 当時の小泉内閣の閣僚たちは、盛んに自己責任、という言葉を強調しています。安田純平さんの行動については賛否両論があることでしょう。しかし、政府の姿勢として、はっきりと自己責任を明言したことにこそ、日本がどういう社会なのかを表しているといえるのではないでしょうか。 社会に転嫁された自己責任またおりしもこの小泉内閣時代に、現代の貧困問題や、8050問題につながる構造改革が行われました。それは派遣法の改正です。 例外扱いで禁止だった製造業および医療業務への派遣が解禁され、専門的26業種は派遣期間が3年から無制限になり、それ以外の製造業を除いた業種では派遣期間の上限を1年から3年に変更されました。 つまり、雇用者側はより流動的に、自分達に都合がいいように労働力を使えるようになったのですね。 結果何が起こったか。2009年のリーマンショックで、派遣法改正により生み出された、製造業の派遣社員が大量に解雇され、日比谷公園に住居を失った人達があつまりました。世にいう派遣村ですね。 その後、正規雇用は大幅に制限され、非正規雇用が大量に生み出され、いまにいう”ロストジェネレーション”、失われた世代へと時代は繋がっていきます。 非正規になろうが、派遣切りに合おうが自己責任。安田さんに使われた自己責任という言葉は、そのまま社会に転嫁され、私達の見えない足かせとして、今も重くのしかかっているような気がしてなりません。 自己責任で得をするのは誰自分のことは自分で責任をもつ。書いてみれば当たり前のことです。しかし、自己責任の社会で得をするのは誰なのか。果たして、自己責任論の中で、私達の社会はよくなっていくのでしょうか。 自己責任の本当の意味は?そもそも、日本で使われている自己責任は、都合がいいように言葉の意味自体を変えられている。そんな考え方もあります。
「自己責任」とは、リスクを誰が負担するのか、という意味合いなのに、日本の自己責任には、貧困や引きこもりは甘え、本人の努力不足といった、本来の自己責任とは全く違った意味合いで使われています。 何か問題が起こっても自己責任。これは権力をもって支配する側にとってとても便利な言葉です。政策を失敗し、大量の失業者が出たとしても、それは本人が失業するような仕事についてたせいだ。そんな風に言うことができてしまうからですね。 自由のない責任は、社会をゆがめていく日本社会は、欧米の強い新自由主義の中にさらされていました。新自由主義とは、簡単にいえば、自由な競争原理に任せ、社会の発展を見守っていくという考え方が強い社会です。 社会が発展していくことは悪いことではありません。しかし、市場の自由に任せて競争をしていけば、当然強いものがどんどん力を持っていき、弱いものはどんどん不利な立場に追いやられていきます。 同じ新自由主義でも、欧米ではキリスト教的世界観のもと、弱い人達を助けようといった文化が根付いています。しかし日本では、先の調査結果をみてもわかるとおり、競争で負けて貧しくなるのは自分のせい、という考え方が根強いのです。 結果として、日本は100万人以上の引きこもりを抱える自己責任大国となり、8050問題や高齢化問題など、社会全体がまるで地盤沈下を起こしていくように、格差が広がり、政府が介入しなくては支えきれないといった状態になってしまいました。 ※世界のジニ係数国別ランキングで日本は16位 都合がいい自己責任論を押し付けられた社会には、そのゆがみが見え始めていると私は思っています。 2019年6月、引きこもりの子供をもつ親が、引きこもりの子供を殺してしまうというショッキングな事件が起こりました。加害者である父親は、子供のことを家庭でなんとかしなくてはと思い詰め、外部機関への相談を一切行いませんでした。 加害者は、元農水事務次官ということで話題になりました。官僚のトップですから、もちろん、様々な福祉制度にも精通していたことでしょう。しかし、誰の助けも借りなかった結果、最悪な結末を迎えてしまいました。 【引きこもり事件簿】元農水事務次官長男殺害事件とは何だったのか 責任が自由とともにあるのであれば、最も自由で責任をとるべきなのは支配をしている権力者です。それが最も不自由な人達に責任が押し付けられる社会は、果たして誰のためになるというのでしょうか。 助け合いの社会へ今、世間はようやく自己責任論から離れ、社会全体の問題として、貧困や引きこもりを考え始めています。
厚生労働省より しかしそれは、本質的な気付きの中にあるのではなく、多くの問題が表面化していくなかで、やっていることであり、まだまだ私達の意識の中には、自己責任という言葉が強く残っていると感じています。 社会をつくっていくのは私達自身です。より生きやすい社会とは何か。この文章をきっかけに多くの人が考えてくれたら幸いです。 |
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